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「デジタル通貨」は現金(貨幣)に代わる法定通貨とはならない。

 法定通貨は、「強制通用力」といって、相手が代金として受け取りを拒めないことを国家が保証することで、国内の取引の安全性・確実性を担保する。例えば、現金(貨幣)は法定通貨として、以下のように「強制通用力」を持つ。

  • Aさんからものを300円のリンゴを買って受け取り、その代金を支払わなければならないとしよう。あなたが300円の現金で支払いを済まそうとしたとき、Aさんは「嫌いなお前の300円は受け取れない。」とは言えず、どんなにイヤでも強制的に「ぐぬぬ」といいながら、300円を受け取らなければならない。これが強制通用力だ。
  • 一方、あなたが300円分のバナナで支払いを済まそうとしたとき、Aさんは「嫌いなお前のバナナは受け取れない。だからお前は代金を払っておらず債務不履行だ」といえる。日本においては、現金(円)以外のもの――バナナも米ドルも金銀にも強制通用力はない。
  • ちなみに、銀行振込やデビットカード、クレジットカード支払いは「円」での支払いではあるが、「現金」での支払いではない(どちらも銀行の預金通貨での支払いです)ので強制通用力はない。会社もあなたの給料を原則現金で支払うこととなっており、銀行口座への給与振込は合意の下でしか行えない。

 ここに、仮にある政府が、現金(貨幣)とは別に任意の「デジタル通貨」を作って、「このデジタル通貨を法定通貨とします!」と法律で規定したとしよう。

 でも法律で法定通貨として規定したころで、それが実質的に「強制通用力」を持つかはかなり疑問だ。例えば、以下のケースを考えてほしい。

  • あなたは「デジタル通貨」しか持っておらず、一方で店主は店主は携帯(または口座)を持っていないため、デジタル法定通貨を受け取れないとしよう。この場合、法律がなんと言おうが、あなたは物理的に支払いができないので、買い物はできない。店主は「受け取りたくても受け取れねえ。ぐぬぬ。」となる。

 このような場合、デジタル通貨に強制通用力があるとは言えないだろう。つまり、「誰でも支払える・受け取れる状態」がなければ、強制通用力を担保できないのだ。

 「誰でも支払える・受け取れる状態」は、現金(貨幣)では、かなり高い基準で担保できる。貨幣は、電池切れも技術的な問題も起きないし、相手の状態(携帯を持っているか否か等)にも左右されない。デジタル通貨でこれを担保するためには、誰もがネットワークに繋ぐことができる携帯およびAPPを持っていないとならず、貧しい人や田舎において、この状態を満たすにはハードルが高い。

 こうしたことから、法的・取引実務的な安全性を考えれば、デジタル通貨を法定通貨として機能させることは不可能であろうと考える。 

 但し、「納税ができる通貨」または「限られた条件において強制通用力がある」など、いわば”準”法定通貨としての立ち位置として流通することはあり得る。ただ、それを現金(貨幣)の完全な代替や上位互換と認識するのは大きな間違いであろう。